2011-03-17

大変なことになってしまった③

私は生まれ育ちが下町で、今なお下町に暮らしている。
そして、子供の頃の遊び場所は地元にある震災記念堂という公園?だった。
毎年、9月1日は慰霊祭が執り行われる土地柄だ。

その震災記念堂の本堂には震災で亡くなった身元不明の方が納められているのだが、別棟の資料館は日中は開放されており、無料で入館することができるので、何度か中を覗いたことがある。

多くの文献や展示品の中で特に目を引くのが、震災の様子をつたえる絵画だ。
当時、庶民がカメラなど所持している訳もなく、写真の資料は少ない。

そして子供の私の脳裏に深く焼きついたのが、死者が山のように積み上げられた絵だ。
地割れの絵もあったように思うのだが、記憶が定かでない…。

今回の震災とは異なり10万人を超える「死者の多くは火災による焼死だった」と大正生まれの祖母(被災者)が教えてくれた。
そして、祖母が教えてくれたもうひとつのショッキングな話しは「76年?程度のサイクルで震災がまた起こる」というものだった。

関東大震災は相模湾沖が震源地だ。
今回の震災は宮城県沖が震源だが、併発する地震の震源地が南下してきている。

東京では「これ以上の大きな地震の心配はない」と報道されたことから、街で見掛ける人々の多くはスーツ姿のビジネスマンだったり、ヒールやブーツの女性だが、果たして大丈夫なのだろうか。

祖母の教えは四半世紀もずれているが、少しは備えが必要なのではないだろうか?

今、身近に出来ることとして、私有車の使用をやめ、ガソリンは東北で使ってもらう。
照明機器やエアコンの節電は当然のこと、エレベータの利用も禁止した。
今週末に予定していたメバル釣りを中止して、その費用を義捐金として寄付する。
まだまだ身近に出来ることは有るはずだ…。

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