2011-03-26

大変なことになってしまった④

愚痴らせてくれ!

心が不安定で眠ることもできず、寝酒に寄った店で近寄ってきた女は、色恋目当てだった…。

逃げて帰った地元の飲み屋で原発事故を語っているのは知らない小僧…。

いつもは3分前のことすら覚えていない俺も、この小僧に切れた!

″てめーはテレビの受け売りしかしてね~が、他に何やってんだっ?”

「ちゃ~んと節電もしているし、義援金だって寄付しましたよ、何が私が悪いんですか?、何が出来るか知ってたら言って下さいよ!」

更に切れるが、何も進まない。

関西淡路の時の自分(20代)の自意識は?
本当のとこ、この小僧を責められない…。

しかしながら、うめ43歳、いま思うのはこれから先を担う男子がこれでいいのかという憂いだ。

70代の都知事がドタバタ劇の末、立候補を表明したが、男子の本懐とは何か?
こんな男を量産することが諸先輩達の生きた証しなのだろうか?

余震も続く悲しい金曜だ。

これよりフテ寝することにする!

2011-03-17

大変なことになってしまった③

私は生まれ育ちが下町で、今なお下町に暮らしている。
そして、子供の頃の遊び場所は地元にある震災記念堂という公園?だった。
毎年、9月1日は慰霊祭が執り行われる土地柄だ。

その震災記念堂の本堂には震災で亡くなった身元不明の方が納められているのだが、別棟の資料館は日中は開放されており、無料で入館することができるので、何度か中を覗いたことがある。

多くの文献や展示品の中で特に目を引くのが、震災の様子をつたえる絵画だ。
当時、庶民がカメラなど所持している訳もなく、写真の資料は少ない。

そして子供の私の脳裏に深く焼きついたのが、死者が山のように積み上げられた絵だ。
地割れの絵もあったように思うのだが、記憶が定かでない…。

今回の震災とは異なり10万人を超える「死者の多くは火災による焼死だった」と大正生まれの祖母(被災者)が教えてくれた。
そして、祖母が教えてくれたもうひとつのショッキングな話しは「76年?程度のサイクルで震災がまた起こる」というものだった。

関東大震災は相模湾沖が震源地だ。
今回の震災は宮城県沖が震源だが、併発する地震の震源地が南下してきている。

東京では「これ以上の大きな地震の心配はない」と報道されたことから、街で見掛ける人々の多くはスーツ姿のビジネスマンだったり、ヒールやブーツの女性だが、果たして大丈夫なのだろうか。

祖母の教えは四半世紀もずれているが、少しは備えが必要なのではないだろうか?

今、身近に出来ることとして、私有車の使用をやめ、ガソリンは東北で使ってもらう。
照明機器やエアコンの節電は当然のこと、エレベータの利用も禁止した。
今週末に予定していたメバル釣りを中止して、その費用を義捐金として寄付する。
まだまだ身近に出来ることは有るはずだ…。

2011-03-15

大変なことになってしまった②

時間の経過と共に倍増する被害実態。

放射能の影響は大丈夫なのだろうか?

一方で東京にも震災の影響が届きはじめている。

ガソリン等の燃料調達が難しく、幹線道路の通行止めと相まって物流面がパニックに陥っている。

計画停電により、システムへの影響、設備稼働への影響、スタッフの通勤面にも影響がある。

安穏と仕事をしている自分がもどかしいが、まずは身のまわりの課題解決をしなければ。

2011-03-13

大変なことになってしまった

「土曜日は好調を続けるヤリイカに行こう」とワクワクしながら過ごしていた金曜日の昼過ぎ、オフィスで被災した。
幸いにも東京は交通麻痺に陥っただけで済み、日常生活に何ら影響は無かったが、東北地方の災害の大きさは尋常でない。
もし、この災害が東京にもたらされたものだったら…。
他人事では無い!

何が出来るか考えるが、募金程度しかアイディアがない。
地元の妹分は、生理用品の物資支援をおこなうと言う。
確かに何も持たずに非難した人がそんなもの携えている訳がない。
女性ならではの視点だと感心する。

自然の力の大きさ。
家族や大切な人の尊さ。
社会・経済的に(日本の)あるべきカタチ。
今はとにかく考えなければいけない。

自分の無力さがあまりにも虚しい…。