2012-08-10

身近になった千葉(利便性の光と影)

過日、金谷港のアジ釣りの話をしましたが、今回はその裏話。

私が釣りに興じるようになったキッカケは、亡き父と兄の形見の釣具を使おうとしたことからでした。
即ち、二人が存命だったときには、釣りは“連れていってもらう”もので、何から何までお世話していただいた(何もしない)のです。
酷いことに車の運転までもです(笑)。

彼等の釣りのフィールドは決まって房総で、船釣りに限定すると、布良か洲崎の船に乗ることが多かった…。
今では「ふぅ~ん」と思えるかもしれないが、彼らが通っていた(存命だった)時代にはアクアラインこそ辛うじて開通したが、肝心の「館山道」が開通していなかったものだから、その遠さは半端じゃなかった。

実は私もそんな記憶はとうに消えていたのだが、前回、金谷釣行した際に気まぐれで「のんびり下道でも走っていくか」なんて考えたものだから、昔の記憶が甦ってしまった。

当時を思い出すと、京葉道は蘇我(当時は浜野と呼んでいた筈だが…)までしか開通しておらず、アクアラインも金田(木更津金田)での出入りだったと思う。
そうなると、その後の工程は下道となる。

京葉工業地帯を支えた国道16号は、大きな緑地を施した中央分離帯が長く走り、非常に立派な道路だ。
この道を木更津まで南下すると、君津に入る。
君津から国道127号となるが、現在127号と呼ばれる道は旧道に代わって開通したバイパスだが、郊外型の店が道を挟んで乱立する。

その一角にある「餃子の大将」は釣りの帰り道によく立寄ったことを覚えている。
君津を過ぎ、富津に入ると道はだんだん山道になり、佐貫辺りには廃業している釣具屋が何件か目に入る。
かつて(館山道が開通する前は)、洲崎方面に向かう釣人は必ずこの道を通り、付餌や忘れ物をこの国道沿いの釣具屋で購入したもので、大勢のお客さんが深夜だというのに出入りしていたのを思い返す。
正に利便性による光と影だ。

過日の私の釣行は金谷までの道程だったが、父や兄は更に30~40km先まで往復していたのだから大変だ。

現在、アクアライン~館山道を深夜に走れば、館山まで90分で到着できる。
それは現代人にとっては当たり前のことなのだが、少し視点を変えれば、レジャー産業の普及の影にはロジスティックスの革新による小売業の衰退や、漁業の競争激化が横たわる。

小売に代わる産業がなければ、必然、若者が減り、高齢化が進み最後には過疎化する。
40歳を過ぎて思うことだが、町は幼い子供から老人までが適度なバランスで生存≒暮らすことが好ましい。

中央に暮らす人々全てに地方行政の在り方を問うつもりはないが、片や都民の7割以上は地方出身者が占めているのも事実。
少しばかりの知恵やアイディアを然るべき筋に提供することがあってもいいのではないだろうか。

また、目まぐるしいスピードで進化する都市化を当り前とする10代、20代(これからの時代の担い手)は、こういった問題に何を感じ、どう動くのだろう。
機会があれば、酒でも飲みながら意見交換したいものだ。

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